STAFF

できることが違うからこそ生まれる合わせ技

院長

庄村 直樹

NAOKI SHOMURA

誕生日

10月7日

性格

大雑把

好きな音楽

筋トレで気分が上がる曲

好きな場所

家の隅っこ

なぜこの職業に就いたのか

人の役に立ちたかった

特技

すぐ人と仲良くなれる

くだらないプチ自慢

栄で迷子になれる

今ハマっていること

トイレ掃除

メッセージ

こんな見た目ですが
しっかりと治療はできますので
僕になんでもお任せください!

庄村 直樹

施術には価格以上の価値がある自信があります。

「患者様おひとりおひとりに寄り添いより健康で美しくいていただく」という理想のためには 自分の店を持つこと最も適していると思い開業しました。
開業後には施術の大事さはもちろん、保険適応範囲の治療に限界がある。ということを強く感じました。Simba鍼灸接骨院では、保険では治せなかった、結果が出なかった患者様にも 自費治療だから出来る施術・治療で健康な身体を取り戻していただくことが出来ます。
私が施術をして助けたい人は“色んな病院や接骨院に行ったけど納得のいった結果が出ない方”と“何年もの腰の痛み、肩こり悩んでいてどうしたら良いかわからないと何も行動できないままで半分あきらめている方”です。 保険を使わないため開業してから「沢山の人」を施術することは中々できなくなりましたが、私が目指していた「患者様おひとりおひとりに寄り添いより健康で美しくいていただく」という面では理想に近付いています。 もしもあなたが本当に悩んでいるのであれば、私もあなたと同じで体の症状に「寝れないくらい」悩んだ人間です。同じ経験をしたからこそ、寄り添い、力になりたいと心から思っています。施術には価格以上の価値がある自信が有ります。今の症状やお悩みなどお気軽に相談してくださいね。

庄村直樹の幼少期

八事にある水野医院で庄村家次男として産まれる。
家族構成は父・母・兄・自分でした。祖母もいましたが物心ついた頃には、塩釡口にある八事病院という病院に認知症で入所していました。 4歳から保育園に入り、常に写真などはふざけた顔をして撮影をしていた。
年長になりお泊まり保育の時にお化け屋敷の行事があり、かなりのビビリ屋さんだったためお化け屋敷の中を先生に抱っこされたまま顔を一度もあげず終了するというやんちゃだけどすごくビビリな幼少期でした。

庄村直樹の小学生時代

低学年の時は、体が小さくクラスでいじめられていた時期があり、何人かに囲まれ殴られ蹴られしていました。心配した両親がこの頃からスイミングスクールに通い出し始めさせました。すると体が成長し始め、いじめてた子達を気にくわないとひたすらやり返していた。だんだんと調子に乗ることが増えて行き、授業も聞かず本棚の上で寝ている問題児になっていました。
高学年になると、幼なじみからサッカーやらない??と誘われ、この頃からサッカーにはまり始めました。どんどんサッカーの楽しさに気づき勉強もせず公園でひたすら友達とボールを蹴っていましたが、6年生になると突然親から「中学受験」の話が舞い込みまさかの毎日塾に通学するように。
部活にも行けずたまに行けば試合に出せてもらえるはずもなく、ずっと外から眺めていました。そして、そんな悔しい日々を過ごしながらいざ中学受験本番、結果は見事合格。しかし、合格した私立中学にはサッカー部はなく、その頃ちょうど来年から地元の中学校にサッカー部ができると言う話を聞き親に頼み込み、私立中学を辞退。

庄村直樹の中学生時代

もちろんサッカー部に入部しました。
入学してから初めて知らされたのが中学始まって以来のサッカー部らしくゴールもなければ伝統もなくまさかの第1期生でした。しかし、自分が入学する一年前に赴任された先生がサッカー部の監督が、まさかの愛知県選抜の監督という素晴らしい先生でした。

学校生活では受験の反動からかまったく勉強せず、成績はどんどん急降下。
それとは逆にサッカーに関してはぐんぐんと成長していきましたが、2年生になった頃、人生初めての腰痛に襲われました。その痛みは走ることすらできない、まさに激痛でした。その頃から接骨院に通うようになりました。

順調にレギュラーになり、頑張ってきていたのに全く動けなくて悔しい毎日でした。いつもならピッチに立っているのに、外から眺める劣等感を初めて感じました。接骨院の治療で腰痛と上手く付き合いながら、中学では愛知県ベスト8まで成績を残せました。

庄村直樹の高校生時代

高校は寮のあるサッカー有名校にスポーツ推薦で進学しました。
初めての寮生活で親のありがたみをほんの少しだけ感じながら、高校3年間はいろんな怪我に泣かされました。持病の腰痛から、鎖骨骨折まで色々な怪我を繰り返しました。残念ながら最後の大会には出場する機会はありませんでした。大学からもスポーツ推薦のお誘いはあったが、サッカーでの限界を感じていたところで、大学進学をするよりも両親から「競輪選手」を目指したら?と提案され一時は競輪選手を目指していました。だたし、本当になりたいかと言われればそうではない自分自身に不安がたくさんありました。

庄村直樹の転機

そんなある日、庄村直樹に転機が訪れます。
怪我をして訪れた接骨院の先生がたまたま母校のトレーナーでした。
その先生が「お前将来どうするの??怪我ばかりしてたお前なら患者さんの気持ちわかるんじゃない??この業界も視野に入れてみろよ」という言葉がありすぐに親に相談し接骨院の先生になることを決めました。

庄村直樹の専門学生時代

入学と同時に某接骨院で修行がはじまり、最初は電気つけや雑務を行うなどの本当の下積みが始まりました。この頃は人見知りが激しく患者さんに目つきが悪い、暗いなどのクレームをもらったことがありました。そうこうしてるうちに治療に入らせてもらえることになりたくさんの患者さんに携われることになりました。ここから様々な症例を見れるようになりました。
しかし、残念なことに専門三年生のある日、院長から「給料が払えないからやめてくれ」と経営難によりリストラに遭ってしまいました。幸いなことにすぐに他院から「働かないか」と声をかけていただき、開院してからまだ3ヶ月ほどしか経っていない新しい院で6年間働きました。

庄村直樹の転機

実は僕は元々開業していきたい!!!ではなく、ずっと勤めていたい!二番手でみんなの間に入りクッションの役割をしていきたいと思っていました。
しかし様々な患者さんと実際に接するうちに、施術の大事さや保険の適応範囲だけでは治せない。限界がある。ということを強く感じました。その気持ちから「たくさんの患者さんをもっと良くしていく」ためには開業が一番近いなと思い、より患者さんのお悩みに寄り添える接骨院を目指し、開業を決意しました。

保険の適用範囲だけでは直せない限界を超えた施術を行える自費での施術を始めたため、「たくさんの人」を施術することは中々できなくなりましたが、本当に困り果てて、施術後に涙を流されるほど喜ばれる方をしっかり施術していけるようになりました。

僕が施術をしてとくに助けたい人は「色んな病院や接骨院に行ったけど納得のいった結果が出ない方」と「何年もの腰の痛み、肩こり悩んでいてどうしたら良いかわからないと何も行動できないままで半分あきらめている方」です。
もしもあなたが本当に悩んでいるのであれば、僕もあなたと同じで体の症状に“寝れないくらい”悩んだ人間です。そして、同じ気持ちで悩まれいる方をなんとかしたいと心から思っています。施術には価格以上の価値がある自信が有ります。何かあれば相談してください!

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